日本語のクラスで芥川龍之介の蜜柑と話について作文をしなきゃならないですけどブログに掲載します。はい、どうぞ!
蜜柑
蜜柑の日本語はちょっと難しいですけれどいい話だったと思います。最初は芥川さんは失礼なひとだと思いました。だから、よく考えていたあとで、たぶん失礼ではありません。みんなさんに時々悪い日が行われます。芥川さんは悪い日があったかもしれません。そして、小娘が汽車に上ると芥川さんはもっといらいらになりました。ひどい思考を思っているけど、小娘に自分の考えを述べませんでした。そうして、喜ばしい場面を見たあとでやさしくなりました。それから、本当に失礼人ではないでしょうか。
小娘はかわいそう人だと思います。びんぽうとか家に出なくてはならないとかさびしそうもです。小娘も悪い日が行われるかもしれませんけれど芥川さんにちょっと失礼しました。窓を開けて煙に入ったが芥川さんに謝って少しも心配の色を見せませんでした。小娘はわがままになりました。そうして、私は小娘を分かります。家に出なくてはならないから小娘は悲しいかもしれません。私の場合はさびしい時でちょっとわがままになります。けど、小娘はさびしいでも、ほかの人にうれしくなったらしいです。
全部のことの自分の人生で難しいけれどほかの誰かの人生ではもっと難しいと蜜柑の教訓だと思います。そうして、人生は難しいでも自分自身をよく哀れんでいません。いつもうれしくなることでがんばります。世界の中で希望がないものがいっぱいけれどたくさんうれしくていいものもあります。
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読まなくてもいい、おれの意見:
ReplyDeleteはじめになんか切ない話だなと思ったんだけど、小娘が蜜柑を投げたところを読むと、思わず笑っちゃった。その前の重さと暗さは急に消えた。「私」に元気を出させるのは、自分よりかわいそうな人を見るのじゃなくて、人生は新聞に載ってるまずい事態だけじゃないに気付いたということだと思う。